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【2014年02月20日】ジャーナリストとしての第一歩 |
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ジャーナリストとしての第一歩 |
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トヨタが世界の自動車メーカーとして初めて1000万台の大台に到達したというニュースが流れていますね。
フォードというアメリカでも大きな車の会社がありますが、そのフォード社の社長であるフォード氏にお会いした時のことを思い出しました。
その頃の日本は、フォードとか色々な外国の車をどうやって締め出して、トヨタとかマツダとかを守り育てていこうかという時代でした。当時の通産省で8年間にわたって、私は審議委員をやってたんです。1期が2年で4期以上できないということで、最長の8年間にわたって委員をしていました。その時にちょうどフォード氏にお会いしました。
まだ中国が国連にも入っていない状況の中、フォード氏は中国に一日も早く入って1台でも多く車を売りたいんだというような言い方でした。アメリカと中国の間というのは、この辺から変わっていくのかなと感じました。フォード社の中とかロックフェラーの財団でTGという中国についてのいろいろな情報交換の会を自分たちがお金を出してわざわざやりだしたんですね。私はその頃、文春などの雑誌に国際政治評論家としての立場から論文を書いたり、国際情勢分析の評論をしていました。アメリカの中国観は変わったというようなタイトルの論文でしたね。その元になった人物の一人が彼ですね。
フォード氏に直接お会いた時、私が「日本にはどんな戦略を持って入っていらっしゃるんですか?」と聞いたらマツダについていろいろ仰ったんですね。そんなこともあって、フォード氏との会談がものすごく、結果的にはセンセーショナルなものになったんです。たとえば「週刊ポスト」の創刊号は、「フォードがマツダに入ってくる」というトップ記事でした。そんな記事で週刊ポストの創刊号を飾ると同時に日経新聞の1ページ全面に「フォード、マツダに」という大きな見出しが踊り、私の日本におけるジャーナリストとしての第一歩となりました。そんな意味で思い出深い対談でした。
今振り返ると、ひとつひとつのことに直観で動いたにしても、本当にいろんなことが次々に重なって、網の目のように折り重なっていくんだなと実感しております。 |
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