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 私は米コロンビア大学国際政治学部在学中から、ロックフェラー一族をはじめ世界のVIPとの交流を深めてまいりました。同大学大学院卒業後は、日米のテレビ番組で各国の国王、国家元首、財界人、文化人、俳優・女優のインタビューを行い、米Newsweek誌から「インタビュアー世界NO1」、またワシントンポスト紙から「国際感覚にすぐれた世界でも稀有な女性」との大変名誉ある評価をいただきました。これまで訪問した国は186カ国。インタビューしたVIPは、200人以上にのぼります。
 日本国内においては、田中角栄氏、大平正芳氏、三木武夫氏、福田赳夫氏、中曽根康弘氏、小渕恵三氏らとの交流を通じて、日本の外交政策へのアドバイスをさせていただきました。私の両親がともに日中友好と世界平和に力を注いだ人物であったことから、田中角栄政権のときには、田中首相や大平正芳外相、外務省職員に中国情勢についてレクチャーをさせていただき、日中国交回復に特別な思いをこめました。また、北朝鮮の故・金日成国家主席の信任を受けて北朝鮮要人との交流を深め、日本人妻一時帰国などにも力を尽くしました。こうした数々の活動を通じて、私は「西側諸国」という一方的な視点からは決して見ることのできない、国際情勢の真の姿があることを学びました。1990年代からは日本を拠点として、それを講演や著書で広く伝える活動にも力を入れています。
 世界は今、アメリカ覇権が終焉に向かい、EU、ロシア、中国、インドなどが台頭する多極化の時代を迎えています。そのような時代にあって、日米関係を重視した経済政策、外交・安全保障政策を続けている日本に、私は大きな危機感を抱いています。と同時に、このような混沌とした時代だからこそ、日本と日本人には世界に果たすべき大きな役割がある、という確信も持っています。今の日本に必要なのは、「西側諸国」という視点を超え、多角的な視点から国際情勢を見る眼を養い、世界の動きを正しく理解することではないでしょうか。そして、日本固有の歴史や伝統、文化に培われた精神性と、世界有数の経済力を礎とした国を再構築することではないでしょうか。それが日本の国益を守り、ひいては世界に安定と繁栄をもたらす原動力にもなると考えます。
 そのような思いから、国際問題への理解を深める会を立ち上げることといたしました。当会では私がこれまで出会ってきた世界のVIPの素顔、苦悩、人生観、世界観などについてもあますことなくお伝えします。一人でも多くの方が国際情勢への理解を深め、豊かな見識や人間性を養うことは、必ずや日本と世界のためになるはずです。皆様が趣旨に賛同してくださり、参加してくださることを心からお待ちしております。
中丸 薫  




□1963年コロンビア大学大学院国際政治学部、同東アジア研究所卒業と同時に、三井物産からの依頼により、スイスに梱包機械販売の現地法人を設立、代表に就任。ダウ・ケミカル社との商談を成功させ、世界販路を築く(1968年に退任)。
□1971年初の著書となる『対米外交・対中外交』(サイマル出版)を発表。アカデミズムとジャーナリズムを融合した実践的な手引書として評判となる。
□1973年 1月 インタビュー番組『中丸薫・世界の主役』(テレビ東京系列/全国36局)」スタート。
□1974年通産省審議委員(以後4期8年務める)
□1975年ヨルダンのフセイン国王より、独立栄誉賞を授与される。自叙伝『太陽を追って〜中丸薫半生記』(文芸春秋)を出版。
□1980年外務省「海外広報協会」評議委員。
□1983年 2月イラクのサダム・フセイン大統領の招きで1カ月間イラクに滞在。その間、大統領専用機でイラン・イラク戦争の前線に赴き、イランの少年捕虜などを視察。彼らの様子をVTRに収め、後日フセイン大統領にVTRを見せて即刻戦闘を終結するよう直訴。
□1983年 12月 全米380局を持つPBSネットワークにて、インタビュー番組“FOLLOWING THE SUN”をスタート。リビア最高指導者ムアマル・カダフィとの対談では「私はアメリカの政策には反対だが、アメリカに対しては好意を持っている。私にはアメリカと話をする用意がある」とのカダフィの発言を削除するよう局側が圧力をかけてきたが、私費で番組枠を買い取り、問題箇所をカットせずに放映した。
□1985年“The International Affairs Institute for World Peace”(国際問題研究所)がアメリカ政府より財団法人として認可される。
□1987年ニューヨークを拠点にテレビ出演、講演活動を行う。
□1989年 5月 自宅を売って得た資金で『第1回世界平和のための国際シンポジウム』をニューヨークプラザホテルにて開催。前日には国連においてシンポジウムのコンセプトについて講演。記者会見を通して100カ国以上の賛同を得る。数日後、中丸のニューヨーク事務所を金日成国家主席の特使が訪れ、「民間の方がこのようなシンポジウムを開催されるとは実にすばらしい。次回はぜひ私の国にもお声をおかけください」とのメッセージが寄せられたことをきっかけに、北朝鮮との交流がスタート。
□1989年 12月 ソ連より国賓待遇で招待される
□1994年東京にて「人間復興による世界平和」をめざして「太陽の会」を設立。
□1994年 7月金日成国家主席の招待で北朝鮮初訪問。単独インタビューの3日前に金日成国家主席が急逝するというアクシデントに見舞われたが、そのとき平壌市内の状況をレポートした映像がNHK、韓国KBC、CNN等で流れたことで、当時西側諸国で出ていたクーデター説が否定された。同国とはその後、金正日朝鮮労働党総書記および金容淳朝鮮労働党書記らを通じて交流を深め、日本人妻一時帰国、南北朝鮮首脳会談の実現のために力を尽くした。
□1995年ニューヨークのヨハネ教会で、全世界から1000人の宗教者が集った「21世紀のビジョンと宗教会議」を開催
□1996年北朝鮮より国賓待遇で1カ月間招待される
□1997年日米欧三極委員会、Bilderberg、Skull & Bones Societyの名簿を巻末資料として掲載した『“闇”の世界権力構造と人類の針路』(文芸社)を出版。以後、日本での講演、執筆に力を注ぐ。
□1998年2月…アメリカ軍によるイラク空爆回避のためイラクを訪問。イラク政府首脳と会談。 3月…南北朝鮮両政府より国賓待遇で招待を受ける
□1998年月刊ニューズレター「中丸薫の『World Report』」発刊
□2000年「イラン革命30周年記念式典」に国賓として招かれ、基調講演を行う
□2004年世界でもっとも権威があるといわれる人名録American Biographical Institute(アメリカ)から「21世紀の偉大な女性」「21世紀の偉大な思想家」に選ばれる。また、International Biographical Center(イギリス)から「21世紀の代表的な知識人2000人」に選ばれる
□2008年8月中丸薫オフィシャルページ始動! 「国際問題研究会」を設立
□2010年北朝鮮を訪問し、NO.2の金永南委員長と対談を行ったり、平壌市内をカメラクルーと共に映像に収め、「中丸薫が見た北朝鮮の今」(DVD)で出版。
東京からインターネットを利用したスカイプを使ってロサンゼルスの聴衆に 講演をする。それを見たローマの団体の依頼によりローマで講演を行う。
□2011年ヴァチカンを改革しようというグループからの招待でイタリアを訪問する。司教と対談したり、新たな聖地となる場所を訪問する。
□2012年2012年10月開催のピタゴラス学会用の紹介ビデオがYoutubeで話題になり、海外からの多くの関心を呼ぶ。アメリカのインターネット・ラジオやテレビに出演し、インタビューを受けているが、毎回数百万人が見聞している。
現在も各地で講演や研修会をこなしながら、執筆活動中。

番組タイトルおよび放送局放送年および期間
『世界の主役』
(テレビ東京系列/全国36局)
 1973年1月〜1974年9月 
『世界を動かす100人』
(テレビ東京系列/全国36局)
 1982年4月〜9月
『ザ・メッセージ』
(テレビ東京系列/全国36局)
 1983年10月〜1984年3月
『ワールド・ナウ』
(テレビ朝日系列/全国)
 1979年7月〜12月
『FOLLOWING THE SUN』
(アメリカPBSネットワーク/全米380局)
 1983年12月〜1984年5月 


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