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世界に誇れる技術力 |
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戦時中、零戦をはじめ、脅威の戦闘機を次々に投入してきた日本。アメリカ連合軍は日本の技術力に恐ていました。後に敗戦国となった日本に命ぜられたのは、航空機製造の禁止でした。それほどまでに高い技術力だったのです。高い技術力を持ちながら、戦後10年間、日本は飛行機の製造を行えませんでした。しかし、これからの日本は自動車と飛行機の時代だと誰もが思い描いていました。航空機技術者の多くは飛行機を諦めて、自動車産業へと流れていきました。
まさにこの時期、JRの前身である第4代国鉄総裁の十河信二さんは、時速200kmを超える新しい超高速鉄道の設計を島秀夫さん依頼しました。D51の設計者で明治生まれの島さんに、次世代の超特急設計を依頼したのです。D51は今でも日本で最多製造された優秀な蒸気機関車です。 十河さんらは、 多額の資金調達や新しい幹線用敷地の獲得、山岳地帯が多い日本ならではの新しいトンネル作りなど山積した問題を抱えていました。また島さんらは、世界に前例のない超高速鉄道の開発に、モーターの開発、レールや軌道、騒音や乗り心地を考慮した架線や車両開発など困難な問題ばかりでした。まだ世界では、時速150km程度の列車が高速とされていた時代です。
幾多の困難を乗り越え、50年前の今日、10日後のオリンピック開幕を控え、続々と来日した人々や各国の記者の度肝を抜く最先端技術をお披露目した日なのです。
島さんたち先人が開発した車両や集中管理システム、自動列車制御装置などは世界が驚愕した日本の技術力そのものだったのです。 今日現在、新幹線の遅延は、地震や台風の影響で待機を余儀なくされた時間を含め、一編成あたりの遅延はわずか50秒ほどです。それらの現象を除くとたった15秒ほどという正確さです。 私も世界中で高速鉄道に乗りますが、日本の新幹線は群を抜いて綺麗で静かです。また、事故の少なさを考慮すると圧倒的に安心で安全な超高速鉄道といえますね。
日本が世界初の超高速鉄道を運行し始めてから約10年後、ようやくフランスの鉄道が200kmオバーの超高速鉄道の運行を開始しました。
鉄道でも時代を切り開いてきた日本は、真似されることはあっても常に進んだ技術力がありますね。 人身事故もなく、遅延もほとんどない新幹線の開業50周年は、世界に誇れる日だと思います。 |
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