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カダフィ大佐の家族 |
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カダフィに単独会見を申し込み、実際カダフィに会ってみるとボディガードもいないし、彼自身は小さなプジョーの車に乗っていましたね。「カダフィ大佐のお家はどこですか?奥様にもお会いしたいのですけど。」とお願いしたら、側近の人が「明日の朝5時に誰も連れないでひとりでホテルのロビーで待ってて下さい。お連れしますので」と言われました。次の朝、案内する人と運転手と二人がやってきて、車で1時間以上かかる砂漠の一軒家に連れていってくれました。顔にマスクをしたカダフィ大佐と奥様、そしてふたりのお子さんが出迎えてくれました。私の出会った中東の王族は豪華な宮殿に住んでいましたが、彼のお宅は丸太でできた簡素なお家でした。奥様は元々看護師さんだったとか。息子さん達が英語を勉強しているというので「私が、今何歳ですか?」と尋ねたら「11歳です。」と英語で答えるのを聞いてとてもうれしそうな父親の姿を垣間見ました。石油から上がる収益で若い夫婦にはおうちを1軒支給したり、税金も無税、福祉政策もしっかりしていて学校とか病院も無料でというように国民に色々な便宜を計っていたんですね。
アメリカのドルが基軸通貨ではなく、アラブやアフリカの人たちが使える通貨を作ろうということで大量の金を買い集め、いよいよ新しい通貨を発行しようとしていた時にアメリカやNATO、いわゆるネオナチがカダフィを惨殺するような形でそこにある金を全部持っていき、リビアをめちゃくちゃにしてしまいました。 最大のテロ国家は何処でしょうか? マスコミの言うことだけを聞いていると実態がわかりませんね。しかし、真実は少しずつ歴史上にきざまれていくことでしょう。
ヨーロッパではアメリカが中東でやったことに対するすごい批判があり、カダフィやフセインに対しては好意的な意見もあるそうです。この間私がインタビューを受けたイタリアの特派員は、私の撮ったインタビュー映像を見てカダフィやフセインの実像を知りたいと言っていました。
映像的にカダフィ一家の写真を公開するのは初めてだと思うんですね。 私が奥様に会いたいと言ったからこのような出会いが実現しました。皆さんの中にはカダフィに対してこのようなイメージはなかったと思います。不思議と世界中の色々な人に出会ってきてますが、これからも少しずつ世界の真実をお伝えしていきたいと思います。 |
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カダフィ大佐 |
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インターネットを見ていたらリビアでは大がかりなデモが起こるべくして起こっています。カダフィ大佐のシンボルともいうべき緑の旗を掲げ、カダフィの頃の方がよほどよかったというデモがベンガジから始まって色々な所で起こっているようです。
私がカダフィ大佐に興味を持ったのは、次のようないきさつを知ったからです。かつてリビアは王国であり、カダフィ大佐たちは王族がロンドンのクラブで石油から生まれた富を湯水のように博打に使っているのをが見て決起し、誰も殺さず血を流すこともなく無血革命を行い政権を取ったということでした。それで、カダフィは大佐という肩書きのままリビアのトップになったのです。その当時、アメリカは中東とアフリカをにらむ意味で最大の基地をリビアに置いていたんですが、カダフィはそれも血を流すことなく追い出したのです。後に私がワシントンの将軍に「どうしてリビアから撤退したのですか?」と聞いたことがありますが、「ものすごい人の波が押し寄せてきて、そこに銃を発砲したりすれば面倒なことになるということで撤退しました。」と語ってくれました。 又、欧米の石油会社がリビアの石油利権を握っていましたが、これも追い出して国有化したのです。この二つのことでアメリカをはじめ欧米の国々の中にはカダフィのことを「アラブの狂犬」と呼んで何度も何度もつぶそうとしたいきさつがあったのです。
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