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太平洋戦争のとある秘話 |
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もうすぐ終戦記念日がやってきますが、第二次世界大戦真っ只中に起こった知られざる事実をお伝えしましょう。敵国の兵士からの報告で公表された“武士道魂に感謝”と言う話です。
70年以上前、フィリピン沖スラバヤで戦闘中、軍艦「いかづち」の艦長工藤俊作艦長のお話です。 この逸話は元海上自衛官でジャーナリストの恵隆之介さんが書かれた「敵兵を救助せよ!―英国兵422名を救助した駆逐艦「雷」工藤艦長」という本になっています。簡単にご紹介しますと、撃破され、海に投げ出された敵国兵士全員を救助したという話です。
戦時中、中でも激しい戦いが繰り広げられていた、フィリピン・スラバヤ沖でのことでした。空からは戦闘機の容赦ない空襲が続き、海底からは潜水艦が魚雷を次々と発射してきます。海の上では、敵国合わせ無数の艦隊が攻防を繰り広げている最中の出来事でした。
「いかづち」の見張り兵が、撃破されたイギリスの戦艦から海に投げ出された兵士が大勢いることを発見します。そしてそのことを工藤艦長に報告すると、艦長から思いがけない命令をうけます。 「全員救助せよ!」
最初は躊躇していた日本兵も、力尽き海に沈みそうな敵国兵士を救うため、甲板から海に飛び込み救出にあたったそうです。甲板に上げられた敵国の船員達の体は、船の重油で油まみれだったそうですが、一人一人油をふき取り、着るものと靴、温かいミルクやビスケットが振る舞われたそうです。 そして、「あなた方は勇敢に戦われた。いまや日本海軍の名誉あるゲストだ」と英語で伝えたそうです。 その数は、自艦の戦員の倍以上の400人を超えました。工藤館長は2日に渡り750名以上を救出しました。 戦後、工藤艦長はこのことは家族にも誰にも話さずに亡くなられました。
この感謝の気持ちを忘れることができなかった、元イギリス海軍士官サム・フォールさんが伝えてくださらなければ、私たち日本人は誰も知ることはできませんでした。
私たちの知らないところで、武士道精神や大和魂がきっと伝わっています。私たちも今一度襟を正しましょう。やはり、国境のない世界を発信できるのは、この国からかもしれませんね。 |
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日本と中国の架け橋 |
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中国「変面」の第一人者江玉(こうぎょく)さんが来日されて4年になります。
江玉さんは四川省生まれで、中国でも数少ない伝統芸能「変面」のトップアーティストです。
来日のきっかけは、四川大地震でした。 死者・負傷者・行方不明者46万人、避難者1500万人、被災者累計4600万人以上の被害をもたらした大震災でした。救出作業がなかなか進まない中、ある日、胸を打つ一枚の写真に出会いました。中国13億人も胸を打ったというその写真です。それは、他国の救助隊が捜索作業を夕方に切り上げていた中、いち早く現地に駆け付けた日本の国際緊急援助隊は、昼夜を問わず、撤去・捜索をし続けていたと言います。その中で、救出できなかった母子に対し、遺体に黙祷を捧げる日本国際緊急援助隊の姿をとらえた一枚の写真に江玉さんも感動したからだそうです。 「もしかしたら、私が知っている日本は、誤った考えかもしれない」日本に興味を持った彼女は2010年に来日しました。
留学中の江玉さんは、被災地をはじめ日本各地を巡り、素晴らしい伝統芸能活動を続けています。その素晴らしさは観るものを驚嘆させます。そして日本と中国の架け橋をかって出てらっしゃいます。たった一人で舞い、伝えている内容に心打たれると思います。きっと、みなさんも江玉さんを知ると、日本にきてくださったことに感動することでしょう。
私たちの知らない各国で、日本人はそれぞれ黙々と仕事をしています。国際緊急援助隊もJICAも、企業で派遣された人々も、嫁いだ人も。現地に赴いたみなさんは、日本でのスタイルをそのままに活動されますが、海外の人の目には、日本人の仕事ぶりやハートフルさに驚愕することがあるようです。
世界の関係を改善していく為に、制圧する兵器や組織など必要ありません。また、誤解を解くための釈明も、更に誤解を生むこともあります。 しかし、純粋な行動を伝えた、たった1枚の写真でも大きな力を発揮します。やはり、本当に苦境に立った時の人間本来の誠心誠意が大切なのです。そして感じ取ることができたら感謝し伝え合うことなのですね。
一人一人がそれに気付いた時、日本は国境を越える力を発揮する最初の国になるかもしれません。
参考映像 変面:https://www.youtube.com/watch?v=W6pVpPwVQew 災害:https://www.youtube.com/watch?v=XoRDWylU1Jk
(写真は新華社通信 李さん) |
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太宰府天満宮にて |
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学問の神様として名高い菅原道真をお祀りした太宰府天満宮にも案内してもらいました。
ここを訪れたのは初めてですが、とてもりっぱなお宮で多くの観光客が訪れていました。近年、韓国や中国からの参拝者も多いとか。
私の右の方は天満宮宮司の味酒さんで、味酒一族は菅原道真と一緒に太宰府へ来てから1050年、43代にわたり世襲で宮司の職を引き継がれているそうです。
左側の方は椛島禅徹和尚です。香道の師範であり、太宰府で年一回行われる1,200人規模の大きな茶会の統括をされている方です。
仏教と神道という異なる宗教者の間で写してもらいました。
ここも素晴らしい所なので、いつか研修会を行って正式参拝できればいいなと思っています。
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太宰府政庁跡を訪ねて |
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福岡の太宰府にある政庁跡を訪れました。
ここは、7世紀後半に外国との交渉の窓口となる役所が置かれた所だそうです。広大な土地の周りは森で囲まれ、自然の要害になっていたようですね。平城京や平安京に次ぐようなりっぱな都だったとか。
大陸と近く、様々な人や文化が行き交ったことでしょう。しばし、いにしえの文化に思いをはせました。 |
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白蓮と私をつなぐもの |
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写真は柳原白蓮が当時暮らしていたお部屋の前です。
白蓮は、大正天皇の生母であった柳原愛子局の姪にあたります。彼女は東京の東洋英和女学校に通っていましたが、私はその姉妹校に当たる山梨英和女学院の卒業生です。
伊藤伝右衛門と親子ほど年の違う結婚は幸せなものでなく、後に帝大生だった宮崎龍介と駆け落ちして世間を騒がせましたね。龍介の父宮崎滔天は孫文の辛亥革命を支援していたといいますから、私の父・堀川辰吉郎ともご縁があったのではないでしょうか。 |
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【2014年07月22日】白蓮の嫁いだ石炭王の邸宅へ |
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白蓮の嫁いだ石炭王の邸宅へ |
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船瀬さんとの講演会を終え、福岡の方に石炭王と呼ばれた伊藤伝右衛門の邸宅へ案内してもらいました。
彼は、NHKのドラマ「花子とアン」に登場している柳原白蓮の夫であった人だから皆さんもご存じでは?
とても広大な邸宅やお庭で、その当時の羽振りの良さが伺えますね。ドラマの影響か、全国各地から大勢の観光客が押し寄せているようです。 |
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船瀬さんとの対談 |
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船瀬さんとの対談は和やかな雰囲気で進みました。
ただ、対談の内容は闇の権力の人口削減計画、恐るべき内容のオバマ・ケア、ケムトレイルの実態、マイクロチップのことなど、皆さんが驚くことばかりでした。
途中からは皆さんの質問を受けながら、拉致問題が急展開していることとか、マレーシア航空失踪事件などについて私たちが知っていることをお話ししました。 ワクチンにはマイクロチップが入っているとか、免許証にもチップが入っているので、GPSでどこにいるかは把握されていると船瀬さんはおっしゃっています。
こんなひどい世の中ですが、悪魔に魂を売らなければ私たちの魂は永遠ですから、何も恐れることなく心を磨いて人のお役に立つ人生を送っていきましょうと呼びかけました。
参加者の中にはこんなに笑ったことはないとか、とても中味の濃い講演会でよかったという声を寄せていただき、又機会があれば船瀬さんとのジョイント講演会をやりたいものです。 |
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福岡で講演 |
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船瀬さんの次に私が講演をしました。
船瀬さんとの過去世でのご縁のお話しをしましたが、過去にも一緒に腐った政権を倒すために協力したことがあります。今生も世の中の悪をを告発していくという同じような役割をしているんですね。
私は、マスコミからは知る事のできない北朝鮮のこと、私が精神世界に導かれた過程、集団的自衛権の危険性などについてお話ししました。3.11の真実など初めて私の話を聞かれた方は驚かれた方もいるでしょう。
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【2014年07月21日】船瀬俊介さんと福岡で講演会 |
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船瀬俊介さんと福岡で講演会 |
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東京から飛行機で福岡入りし、船瀬さんとジョイントの講演会を行いました。今年1月に東京でご一緒してから2度目です。
船瀬さんは福岡県のご出身ということで、福岡弁も交えながらとてもユーモアあふれるお話しでしたね。会場の皆さんからも何度も笑い声があふれ、楽しい内容ながらもお金にまみれた医療の現実や健康になるための秘訣など中身の濃いお話しでした。
船瀬さんは一日一食で過ごしていらっしゃるとか。「3日食べなきゃ7割直る!」の著書もありますが、食べ過ぎが病気を誘発しているとか、笑うことでナチュラル・キラー細胞が増え、病気を寄せ付けなくなるなど皆さんに取っても有意義な内容でした。 |
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【2014年07月19日】ヒカルランドパークで講演 |
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ヒカルランドパークで講演 |
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19日にはヒカルランドパークで『闇の世界権力が「完全奴隷国家日本」を強く望む理由』の出版記念講演を行いました。会場は定員オーバーするほど集まっていただき、とても熱気であふれていました。
最後は、いつも研修会で行っている祈りをしましたが、中には初めて参加にもかかわらず心が開いて号泣する女性もいましたね。言霊が彼女の魂に響いたのでしょう。
とても良いセミナーでした。 |
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【2014年07月16日】グレゴリー・ペックとの思い出 |
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グレゴリー・ペックとの思い出 |
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ハリウッドの大物スターに何人もお会いしましけど、グレゴリー・ペックとの最初の出会いは「世界の主役」の番組でインタビューした時です。その次はロンドンのホテルに泊まっていた時、ローストビーフのおいしいレストランでお食事をしていてふと隣を見たらペック夫妻がいらっしゃったのです。「あら久しぶり」と言ったら、「ちょうどロンドンで撮影しているのでよろしかったら見にいらっしゃいませんか?」とお誘いを受けました。大きなプールを使って船が世界一周の航海をするという場面を撮影していたんですね。
「よろしかったら一緒にロサンゼルスへいかがですか?」と言われ、私もちょうど2回目のインタビューを彼のお家でできたらいいなと思っていたので、同行することになりました。ロサンゼルスの彼の邸宅はとても広く、庭のひとつにプールがあり、そこから坂を下っていくと離れの客間がありましたね。お隣は、ビバリーヒルズでは一番大きな邸宅だというバーバラ・ストライサンドの家でした。彼のお話ぶりは政治的にリベラルな立場です。その後お話もつきませんでした。
ペックさんが東京国際映画祭の委員長として来日されたことがあり、その時に私の事務所にお電話があったんですね。私は海外にいたので秘書が電話を受け、どなたですかと尋ねたら「私はグレゴリー・ペックです」と言われて感動したというエピソードがあります。
チャールトン・ヘストンは保守的ですが、ペックさんはリベラルな方で俳優さんもそれぞれ個性があります。政治の問題にしてもハリウッドのスターは意思表示をして応援しますね。
ペックさんの暖かいお人柄に接したことは、思い出の一コマです。 |
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大阪一日研修会 |
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大阪で一日研修会を行いました。
時代の変わり目に入ったととひしひしと感じる今日この頃ですが、参加された皆さんも非常に真剣なまなざしで私の話を聞いたり、心を見つめるワークに取り組んでいました。質疑応答の時も皆さんが感動的な感想も述べたり、良い質問もいっぱい出ました。
そんな中、聞いて学んだことは実践に移していこうという心構えが備わってきたように思います。新しい人も随分入ってきましたし、人がどんどん変わっていく様子を拝見して私も皆さんから元気をいただいてます。
これからもできる限りこのような会を各地で続けていき、皆さんには随時スケジュールをお伝えしていきます。
福岡で7月21日には船瀬俊介さんとのジョイント講演会がありますが、その後は海外に出ていくことも増えてくることでしょう。
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大阪に着きました |
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午前中は、8月に出る池田整治さんとの対談本のゲラをチェックし、夕方の新幹線に乗って大阪にやってきました。明日は一日研修会です。
日本の政治は北朝鮮との関係や国防の面でも変わりつつありますが、そのあたりもお話ししようかと思っています。 |
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