□1963年 | コロンビア大学大学院国際政治学部、同東アジア研究所卒業と同時に、三井物産からの依頼により、スイスに梱包機械販売の現地法人を設立、代表に就任。ダウ・ケミカル社との商談を成功させ、世界販路を築く(1968年に退任)。 |
□1971年 | 初の著書となる『対米外交・対中外交』(サイマル出版)を発表。アカデミズムとジャーナリズムを融合した実践的な手引書として評判となる。 |
□1973年 1月 |
インタビュー番組『中丸薫・世界の主役』(テレビ東京系列/全国36局)」スタート。 |
□1974年 | 通産省審議委員(以後4期8年務める) |
□1975年 | ヨルダンのフセイン国王より、独立栄誉賞を授与される。自叙伝『太陽を追って〜中丸薫半生記』(文芸春秋)を出版。 |
□1980年 | 外務省「海外広報協会」評議委員。 |
□1983年 2月 | イラクのサダム・フセイン大統領の招きで1カ月間イラクに滞在。その間、大統領専用機でイラン・イラク戦争の前線に赴き、イランの少年捕虜などを視察。彼らの様子をVTRに収め、後日フセイン大統領にVTRを見せて即刻戦闘を終結するよう直訴。 |
□1983年 12月 |
全米380局を持つPBSネットワークにて、インタビュー番組“FOLLOWING THE SUN”をスタート。リビア最高指導者ムアマル・カダフィとの対談では「私はアメリカの政策には反対だが、アメリカに対しては好意を持っている。私にはアメリカと話をする用意がある」とのカダフィの発言を削除するよう局側が圧力をかけてきたが、私費で番組枠を買い取り、問題箇所をカットせずに放映した。 |
□1985年 | “The International Affairs Institute for World Peace”(国際問題研究所)がアメリカ政府より財団法人として認可される。 |
□1987年 | ニューヨークを拠点にテレビ出演、講演活動を行う。 |
□1989年 5月 |
自宅を売って得た資金で『第1回世界平和のための国際シンポジウム』をニューヨークプラザホテルにて開催。前日には国連においてシンポジウムのコンセプトについて講演。記者会見を通して100カ国以上の賛同を得る。数日後、中丸のニューヨーク事務所を金日成国家主席の特使が訪れ、「民間の方がこのようなシンポジウムを開催されるとは実にすばらしい。次回はぜひ私の国にもお声をおかけください」とのメッセージが寄せられたことをきっかけに、北朝鮮との交流がスタート。 |
□1989年 12月 |
ソ連より国賓待遇で招待される |
□1994年 | 東京にて「人間復興による世界平和」をめざして「太陽の会」を設立。 |
□1994年 7月 | 金日成国家主席の招待で北朝鮮初訪問。単独インタビューの3日前に金日成国家主席が急逝するというアクシデントに見舞われたが、そのとき平壌市内の状況をレポートした映像がNHK、韓国KBC、CNN等で流れたことで、当時西側諸国で出ていたクーデター説が否定された。同国とはその後、金正日朝鮮労働党総書記および金容淳朝鮮労働党書記らを通じて交流を深め、日本人妻一時帰国、南北朝鮮首脳会談の実現のために力を尽くした。 |
□1995年 | ニューヨークのヨハネ教会で、全世界から1000人の宗教者が集った「21世紀のビジョンと宗教会議」を開催 |
□1996年 | 北朝鮮より国賓待遇で1カ月間招待される |
□1997年 | 日米欧三極委員会、Bilderberg、Skull & Bones Societyの名簿を巻末資料として掲載した『“闇”の世界権力構造と人類の針路』(文芸社)を出版。以後、日本での講演、執筆に力を注ぐ。 |
□1998年 | 2月…アメリカ軍によるイラク空爆回避のためイラクを訪問。イラク政府首脳と会談。
3月…南北朝鮮両政府より国賓待遇で招待を受ける |
□1998年 | 月刊ニューズレター「中丸薫の『World Report』」発刊 |
□2000年 | 「イラン革命30周年記念式典」に国賓として招かれ、基調講演を行う |
□2004年 | 世界でもっとも権威があるといわれる人名録American Biographical Institute(アメリカ)から「21世紀の偉大な女性」「21世紀の偉大な思想家」に選ばれる。また、International Biographical Center(イギリス)から「21世紀の代表的な知識人2000人」に選ばれる |
□2008年8月 | 中丸薫オフィシャルページ始動! 「国際問題研究会」を設立 |
□2010年 | 北朝鮮を訪問し、NO.2の金永南委員長と対談を行ったり、平壌市内をカメラクルーと共に映像に収め、「中丸薫が見た北朝鮮の今」(DVD)で出版。 東京からインターネットを利用したスカイプを使ってロサンゼルスの聴衆に
講演をする。それを見たローマの団体の依頼によりローマで講演を行う。 |
□2011年 | ヴァチカンを改革しようというグループからの招待でイタリアを訪問する。司教と対談したり、新たな聖地となる場所を訪問する。
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□2012年 | 2012年10月開催のピタゴラス学会用の紹介ビデオがYoutubeで話題になり、海外からの多くの関心を呼ぶ。アメリカのインターネット・ラジオやテレビに出演し、インタビューを受けているが、毎回数百万人が見聞している。
現在も各地で講演や研修会をこなしながら、執筆活動中。
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